ヨーロッパが歩んだ政治の道が語るもの—過去の世界を知り、明日の世界を見つめる
法学部政治学科 小川 有美教授
2019/02/19
研究活動と教授陣
OVERVIEW
政治とは、過去の人々の選択の歴史であり、いかに生きるかを問い続けた足跡でもある。
一つ一つの国々が歩んだその道のりを丁寧にたどることで、見えてくるものがある。
小川教授は、ヨーロッパがどんな変遷を経て現在に至ったのか、これからどこへ向かおうとしているのかを克明に追い、政治を巡る新たな視点を探る研究に取り組んでいる。
研究の概要
一つの選択がどんな結果を生むか、今に至る政治の歩みを明らかにする。
北欧が福祉国家を築き上げたのは“当たり前”ではない
幾度にもわたる戦いを経て、分裂と統合を繰り返し、数々の苦難の上に築かれたヨーロッパ。その過程を通して、一つ一つの国に多様で個性的なデモクラシーが生まれ、「民主主義の建築現場」と言われるまでに発展を遂げていった。小川先生は、多様性に満ちたヨーロッパ政治の歩み、新たな局面を迎えている現在の姿を、「歴史」と「比較」の観点から分析している。
ヨーロッパにはイギリスやドイツのような大国もあるが、先生が最初に着目したのは小さな国々のユニークさだった。中でも興味を抱いたのは、福祉国家を築き上げた北欧の政治史だったという。
「北欧諸国は、よく知られているように社会保障が充実し、男女平等社会を実現しています。人々は『北欧は進んだ社会』と口をそろえますが、現在の姿に至った理由はあまり知られていません。『北欧では成立しても日本では難しい』とも言われますが、本当にそうでしょうか。その糸口を見つけるには、北欧の国々がたどってきた歩みをさかのぼる必要があると考えました」
豊かな自然があり、福祉や教育、環境といった分野で特徴的な社会政策を推進してきた北欧諸国。最初に訪れたのは大学時代だったという先生は、「なぜ北欧に惹かれたのか、研究は恋愛ではないですが一言で説明し尽くせないものがあります」と笑みを浮かべる。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー3国の比較から始まった研究は、比較政治の分野で世界的な研究所を持つノルウェー?ベルゲン大学で客員研究員を務めた2年間を経て、さらに深まりを見せていった。
幾度にもわたる戦いを経て、分裂と統合を繰り返し、数々の苦難の上に築かれたヨーロッパ。その過程を通して、一つ一つの国に多様で個性的なデモクラシーが生まれ、「民主主義の建築現場」と言われるまでに発展を遂げていった。小川先生は、多様性に満ちたヨーロッパ政治の歩み、新たな局面を迎えている現在の姿を、「歴史」と「比較」の観点から分析している。
ヨーロッパにはイギリスやドイツのような大国もあるが、先生が最初に着目したのは小さな国々のユニークさだった。中でも興味を抱いたのは、福祉国家を築き上げた北欧の政治史だったという。
「北欧諸国は、よく知られているように社会保障が充実し、男女平等社会を実現しています。人々は『北欧は進んだ社会』と口をそろえますが、現在の姿に至った理由はあまり知られていません。『北欧では成立しても日本では難しい』とも言われますが、本当にそうでしょうか。その糸口を見つけるには、北欧の国々がたどってきた歩みをさかのぼる必要があると考えました」
豊かな自然があり、福祉や教育、環境といった分野で特徴的な社会政策を推進してきた北欧諸国。最初に訪れたのは大学時代だったという先生は、「なぜ北欧に惹かれたのか、研究は恋愛ではないですが一言で説明し尽くせないものがあります」と笑みを浮かべる。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー3国の比較から始まった研究は、比較政治の分野で世界的な研究所を持つノルウェー?ベルゲン大学で客員研究員を務めた2年間を経て、さらに深まりを見せていった。
「1800年代後半、日本の明治時代までさかのぼると、北欧と日本は農村国で貧しく、よく似ていたのです。しかし北欧の場合は、そこからいくつかの分岐点がありました。農民たち市民が政党をつくり、都市と農村の人々が連合を組んで民主主義を勝ち取ったこと。第一次世界大戦の後に起きた世界的な経済危機を、ファシズムが席巻した他の諸国とは違う方法で乗り切ったこと。1970年代頃に、多文化主義や男女平等を取り入れていったこと。こうした歩みを注意深く見ていくと、現在の福祉国家は決して当たり前のものではなく、一つ一つの選択の結果であることが分かります」
丁寧なまなざしで、あたかも過去の人々と対話を重ねるように、国々の足跡をたどり、転換点を見つけていく。それは同時に、現在および未来の社会を考える上での一つの手掛かりとなる。
「社会がどのように成り立っていて、ある選択がどんな結果を生むか。それを解明することは、過去の歴史を新たな視点で捉え直すことができるだけでなく、これからの政治や社会に対する一つの選択肢を示すことにもつながると考えています。しかし、政治は人々の生活と大きく関わるものであるがゆえに、そこには社会的な責任も伴うのです」
丁寧なまなざしで、あたかも過去の人々と対話を重ねるように、国々の足跡をたどり、転換点を見つけていく。それは同時に、現在および未来の社会を考える上での一つの手掛かりとなる。
「社会がどのように成り立っていて、ある選択がどんな結果を生むか。それを解明することは、過去の歴史を新たな視点で捉え直すことができるだけでなく、これからの政治や社会に対する一つの選択肢を示すことにもつながると考えています。しかし、政治は人々の生活と大きく関わるものであるがゆえに、そこには社会的な責任も伴うのです」
研究の発展
変化し続けるヨーロッパの姿を、多角的に見つめる。
知の交流から生まれた、数々の成果
北欧を出発点とした先生の研究は、次第にヨーロッパ全体を見渡すものへと広がっていった。それを後押ししたのは、数々の共同研究だった。
「研究は孤独で、一人で対峙するものという面は絶対に欠くことはできませんが、一方では人とのつながりから広がっていく場合もあります。それが意外と研究者人生の転機になることも少なくないのです」
先生の呼びかけから、いくつかの成果に結び付いたものがある。一つは、選挙で選ばれた代表者ではなく、ごく普通の人々が話し合いを通じて政治を行う「熟議民主主義」に関する研究。EUやフランスからポーランド、ブラジルまでの事例をもとに比較研究を行い、『ポスト代表制の比較政治—熟議と参加のデモクラシー』(2007年、早稲田大学出版部)という書籍に結実した。
また、ヨーロッパの「マルチレベルガバナンス化」についての研究もその一つだ。
「ヨーロッパには、EU、国家、さらにはスコットランドや独立問題で揺れるカタルーニャ地方といった地域のレベルまで、大小さまざまな枠組みがあります。EUが今まであった国家を壊したのではなく、むしろ政治やアイデンティティは多層化しているのではないか。その仮説のもとで、各国の研究者へのアンケートと現地調査を共同で行い、実態を明らかにしていきました」
北欧を出発点とした先生の研究は、次第にヨーロッパ全体を見渡すものへと広がっていった。それを後押ししたのは、数々の共同研究だった。
「研究は孤独で、一人で対峙するものという面は絶対に欠くことはできませんが、一方では人とのつながりから広がっていく場合もあります。それが意外と研究者人生の転機になることも少なくないのです」
先生の呼びかけから、いくつかの成果に結び付いたものがある。一つは、選挙で選ばれた代表者ではなく、ごく普通の人々が話し合いを通じて政治を行う「熟議民主主義」に関する研究。EUやフランスからポーランド、ブラジルまでの事例をもとに比較研究を行い、『ポスト代表制の比較政治—熟議と参加のデモクラシー』(2007年、早稲田大学出版部)という書籍に結実した。
また、ヨーロッパの「マルチレベルガバナンス化」についての研究もその一つだ。
「ヨーロッパには、EU、国家、さらにはスコットランドや独立問題で揺れるカタルーニャ地方といった地域のレベルまで、大小さまざまな枠組みがあります。EUが今まであった国家を壊したのではなく、むしろ政治やアイデンティティは多層化しているのではないか。その仮説のもとで、各国の研究者へのアンケートと現地調査を共同で行い、実態を明らかにしていきました」
理論と実証研究の橋渡しにより、政治の総合性を取り戻す
最近では、より発展的な試みとして「政治理論と実証研究の対話」をテーマにした共同研究を行った。その背景には、高度に専門分化する政治学への危惧があったという。
「社会の正義はかくあるべきだという議論を展開する思想や理論の研究者がいる一方で、統計学の手法などを用いて実証研究を手掛ける研究者もいます。しかし、そこには共通性が確保しにくくなっているように感じていました。政治学は、非合理性、不確実性を含んだ人間を探究する学問なので、あまり純粋に突き詰めていくと、かえって見えなくなるものもあるかもしれない。理論と実証研究の橋渡しをすることで、失われていた政治の総合性を取り戻したいと考え、各分野の研究者が集い対話する場を大切にしています」
「学会を権威にしてしまわず、人々が集まるためのプラットフォームになれば」というのが先生の考えだ。政治学の世界にとどまらず、学内ではグローバル都市研究所、平和?コミュニティ研究機構のメンバーとして、社会学、経済学、観光学など他分野の研究者と意見を交わすことも刺激になっているという。
最近では、より発展的な試みとして「政治理論と実証研究の対話」をテーマにした共同研究を行った。その背景には、高度に専門分化する政治学への危惧があったという。
「社会の正義はかくあるべきだという議論を展開する思想や理論の研究者がいる一方で、統計学の手法などを用いて実証研究を手掛ける研究者もいます。しかし、そこには共通性が確保しにくくなっているように感じていました。政治学は、非合理性、不確実性を含んだ人間を探究する学問なので、あまり純粋に突き詰めていくと、かえって見えなくなるものもあるかもしれない。理論と実証研究の橋渡しをすることで、失われていた政治の総合性を取り戻したいと考え、各分野の研究者が集い対話する場を大切にしています」
「学会を権威にしてしまわず、人々が集まるためのプラットフォームになれば」というのが先生の考えだ。政治学の世界にとどまらず、学内ではグローバル都市研究所、平和?コミュニティ研究機構のメンバーとして、社会学、経済学、観光学など他分野の研究者と意見を交わすことも刺激になっているという。
研究で目指すこと
直面する試練の時代、その先にある明日の世界のために。
多様性と共同性のバランスを模索するヨーロッパ
ヨーロッパは今、EU統合や移民?難民の流入などにより、新たな曲がり角に直面している。
「第二次世界大戦後のヨーロッパは、おのおのが多様な個性を持ちながら発展を遂げてきました。しかしEU統合によってその個性を押し殺すほどの強いルールを設けたことで、ひずみが生まれ、ユーロ危機が起こってしまった。現在の移民?難民問題においても、共同で責任を持って受け入れようというドイツのような国がある一方で、一国の事情を優先するハンガリーやイタリアのような国もあります。こうした多様性と共同性のバランスを、ヨーロッパは模索しているところです」
先生が今、懸念している社会の分断が2つある。一つは、ヨーロッパが築いてきた民主的で福祉的な社会と、イスラム圏の社会をどう共存させていくか。もう一つは、世代間の分断だ。かつてノルウェー滞在中に目にしたのは、移民?難民の生活を手厚く保護し、大国とは異なる方法で平和を希求する北欧の姿だった。しかし、現在は北欧の国々でも反移民、外国人排斥を叫ぶ政党が出てきているという。
「これだけグローバル化が進む中でも、文化と文化の矛盾、世代間の矛盾は決して浅くなっていません。こうした壁を超えるための研究は、専門の壁を超える共同研究でこそ進んでいくもの。私自身も取り組んでいくつもりですが、すでにこうした試みを始めている若手の研究者にも大きな期待をしています」
ヨーロッパは今、EU統合や移民?難民の流入などにより、新たな曲がり角に直面している。
「第二次世界大戦後のヨーロッパは、おのおのが多様な個性を持ちながら発展を遂げてきました。しかしEU統合によってその個性を押し殺すほどの強いルールを設けたことで、ひずみが生まれ、ユーロ危機が起こってしまった。現在の移民?難民問題においても、共同で責任を持って受け入れようというドイツのような国がある一方で、一国の事情を優先するハンガリーやイタリアのような国もあります。こうした多様性と共同性のバランスを、ヨーロッパは模索しているところです」
先生が今、懸念している社会の分断が2つある。一つは、ヨーロッパが築いてきた民主的で福祉的な社会と、イスラム圏の社会をどう共存させていくか。もう一つは、世代間の分断だ。かつてノルウェー滞在中に目にしたのは、移民?難民の生活を手厚く保護し、大国とは異なる方法で平和を希求する北欧の姿だった。しかし、現在は北欧の国々でも反移民、外国人排斥を叫ぶ政党が出てきているという。
「これだけグローバル化が進む中でも、文化と文化の矛盾、世代間の矛盾は決して浅くなっていません。こうした壁を超えるための研究は、専門の壁を超える共同研究でこそ進んでいくもの。私自身も取り組んでいくつもりですが、すでにこうした試みを始めている若手の研究者にも大きな期待をしています」
可能性のための多様性を追い続けて
社会は変えられるかと問うと、多くの学生が難しいと答えるという。しかし、世界の多様性を見失わない限り、可能性はゼロではないと先生は考えている。
「とても無理だと思われていることに対して、『別の選択肢』を提示することが政治学にはできるし、求められています。90%は無理でも、ある時代のある場面で、機会の窓が開かれた時に、10%の可能性が実現に向かうかもしれない。政治家はそれを巡って競い合うべきですし、政治学者は別のやり方でその可能性をつかもうとしているのです。そのためには、政治のいわば生物多様性が必要です」
研究者としての矜持を胸に、先生が見つめるのは未来の社会だ。
「研究者を目指す原点になった大学時代のヨーロッパ政治史の授業で、今でも覚えている言葉があります。ナチスドイツの時代に、シュテファン?ツヴァイクというユダヤ系文学者が書いた『昨日の世界』という有名な作品があるんですね。先生は最後の授業でその作品に触れ、『授業で過去を振り返ってきたけれども、明日の世界を見ることも忘れてはいけない』とおっしゃいました。政治学が持つ多様な可能性を追い、『明日の世界』を見つめながら、目の前の研究に取り組み続けていきたいと思います」
社会は変えられるかと問うと、多くの学生が難しいと答えるという。しかし、世界の多様性を見失わない限り、可能性はゼロではないと先生は考えている。
「とても無理だと思われていることに対して、『別の選択肢』を提示することが政治学にはできるし、求められています。90%は無理でも、ある時代のある場面で、機会の窓が開かれた時に、10%の可能性が実現に向かうかもしれない。政治家はそれを巡って競い合うべきですし、政治学者は別のやり方でその可能性をつかもうとしているのです。そのためには、政治のいわば生物多様性が必要です」
研究者としての矜持を胸に、先生が見つめるのは未来の社会だ。
「研究者を目指す原点になった大学時代のヨーロッパ政治史の授業で、今でも覚えている言葉があります。ナチスドイツの時代に、シュテファン?ツヴァイクというユダヤ系文学者が書いた『昨日の世界』という有名な作品があるんですね。先生は最後の授業でその作品に触れ、『授業で過去を振り返ってきたけれども、明日の世界を見ることも忘れてはいけない』とおっしゃいました。政治学が持つ多様な可能性を追い、『明日の世界』を見つめながら、目の前の研究に取り組み続けていきたいと思います」
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
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観光学部 羽生 冬佳教授
プロフィール
PROFILE
小川 有美/OGAWA Ariyoshi
法学研究科法学政治学専攻 教授
1987年3月、東京大学教養学部教養学科卒業。
1992年4月、東京大学法学政治学研究科政治学専攻博士課程単位取得満期退学。
1992年5月~2003年3月、千葉大学法経学部で助手、助教授を務める。1997年9月より2年間、ノルウェー?ベルゲン大学客員研究員。2003年4月より現職。ヨーロッパの政治を、大国のみならず北欧を含む中小国に焦点を当て、比較政治学?歴史政治学の手法により研究。EU統合のもたらす「民主主義の赤字」、リスク社会と福祉国家、人の移動とポピュリズムといった横断的なテーマを多角的に分析する。
2014年6月~2016年6月、日本比較政治学会会長
2018年10月~、日本政治学会理事長
主な著書
『Reconstructing Multiethnic Societies : the Case of Bosnia-Herzegovina』(2001)Ashgate.,
『市民社会民主主義への挑戦—ポスト「第三の道」のヨーロッパ政治』(2005)日本経済評論社
『ポスト代表制の比較政治—熟議と参加のデモクラシー』(2007)早稲田大学出版部
『グローバル対話社会—力の秩序を超えて』(2007)明石書店
研究者情報